前編からの続き。
黒河内:ゆきさんは絵付けをする際に、もちろん古いものを見ることもあると思うのですが、その中にもゆきさんらしさを感じます。絵付けのスタイルはどのように変化していきましたか?
ゆき:どういう風に絵付けしたのか?
黒河内:はい。私はボタンを作るときに、絵が下手ではないかもしれないけど、上手くもなくて、普通の絵しか描けなくて。
ゆき:上手いですよ(笑)。
黒河内:なんだろう。綺麗な状態で絵で描こうと思っても、個が出てしまう。
亮平:その気持ちはすごくよくわかる。
黒河内:ゆきさんにどういう風に筆を走らせるのか、呉須のダミの付け方や、筆にどのくらい水と呉須をつけて、どういうふうに描いていくのかを横で教わりながら描くんですけど、やっぱりゆきさんが描くと、生地の上にその絵柄が元からあったように花が咲くんです。ゆきさんは、鍋島焼で絵付けをやられていたから、そういった豪華な絵付けを経験された上で、今の形になっていくときに、何か自分の中できっかけや目指していたことはありますか?
ゆき:そこにあるように見えるっていうのは凄くうれしい。そうなったらいいなぁ、と思って描いています。やはり、茶花を習っていたのはとても勉強になっていて。茶花も自然に見えるように生けるんだけど、結構手が入ってるんですよ。 植物は生えている時点では美しさよりも生命力の方が強くて、自然には畏怖を感じてしまいます。 でもそこから人の手が入って美しさを抜き取る。
黒河内:今回、自分でボタンを作ってみて、上手くなったって言ったらおこがましいのですが、自分の中の感覚がつかめてきたな、と思ったら制作が終わってしまった。やはり量をきちんと書くというのが大事なんだと感じました。たくさん書いて、その中で掴んでいくというような作業は、本当に鍛錬が必要ですね。
亮平:あのボタンすごいよね。全部に一体感がある。
黒河内:ゆきさんと呉須の濃度の調整もたくさんしました。だからこそ、最後の完成度に心からすごいと思いました。
亮平:うちも壺にいろいろと絵柄を描くことがあるんだけど、結果、このまっさらな白磁のようになってほしいと思っている。つい最近赤絵をはじめたんです。赤絵は陶器が焼けたあと、最後に描くから、割ともろに描いたそのままが出る。絵に対する感覚が全然違う。
黒河内:現物を見てびっくりしました。写真で見ているよりも、赤絵なのにゆきさんらしいと。
ゆき:どうしても出ちゃいますよね。
黒河内:赤絵は、ダイレクトに最後の色がはっきり入っているイメージだったのが、ゆきさんの儚さみたいなものが赤絵の中にある。
亮平:イメージの伝え方として、染め付けはどちらかというと、器の土の中から花が出てくる感じ。赤絵は上から降ってくるような感じ。そのイメージの伝え方は夫婦でも難しいのに、黒河内さんはたくさんの職人さんとやりとりするからどうしているのだろうか、って不思議なんです。
黒河内:亮平さんも昔、絵付けをやられていたからご自身で描くことができる。それでも描かない、という選択をしている。私も、プリントなどで自分の絵がダイレクトに出てしまうのが苦手で、織物や刺繍になって、ひとつ別の工程が入るのが心地良い。もしかしたら、それが亮平さんの中で絵付けをやらないことと似ているのかな、と思いました。
亮平:自分の場合は癖が絵に絶対出る。どんなに素直な心になろうと思っても、素直じゃないというか、ダメなんですよね。どうしても気になってしまう。誤解しないで聞いてほしいんだけど、ゆきさんは、良い意味であんまり考えないというか、細かいことを伝えるよりも抽象的な「赤絵は天から降ってくる感じ」みたいな言葉で、絵がスーッとそのまま出てくる。
黒河内:本当にすごいと思う。ゆきさんのものづくりの清らかさみたいなものは、この器、花、絵、何になっても変わりなく、ご自身の清らかな泉みたいなものを持っている。山本夫妻を知れば知るほど、ゆきさんのこの奥行きと亮平さんの考えていること、そのふたりのバランスで形になっていると感じます。
亮平:黒河内さんは、職人さんの手を介して、なおかつ量産をしつつ、きちんと表現できているのが本当にすごい。
黒河内:美しさの追求をやめないということが、一番難しいことだと思います。それは本当に、おふたりの作品を見るたびに考えさせられる。ハッとしますし、自分の作った服も誰かにそういう思いで着てもらえたらいいなとも思う。たくさんのものが既に世の中にあって、洋服も器もたくさん選択肢がある中で、纏った時の気持ちの高揚や、衣ずれの心地よさ、そういう感覚を大事にしたいと思います。なかなかできることではないですが、そういう感覚は、おふたりの作品からいつも考えさせられます。
亮平:うちもマメから刺激をもらっています。僕は、毎年書き初めをするんです。3年ぐらい前からその年のテーマになるようなことを書いていて。最初は「脱力」、次の年は「素直」そして去年は重さと軽さを意識しようと思って「重かる」。そして、今年は「かざり心」をテーマにしました。というのも、もともとシンプルなものが好きなので、白磁が大好きなんだけど、マメの洋服を着た時の気持ちの浮き立つ感じや、心を動かすものってなんだろうみたいなことを考えるようになって。機能的にはなくても成立する飾りや、何かを身に着けたくなる人の心。赤絵も置いておくだけで、なんだか気持ちがちょっとふわっとする。洋服もただ着るだけだったら無地で十分だと思うけど、そこに何かを入れたくなるとか、着たくなるとか。なんでしょうね。
黒河内:私も山本さんの花器を白磁だと思って使っていたら、ある日、そこにぼやっと絵付けが見えてくるような気配を感じて。花器を動かし、角度を変えたある時気づいたんですよね。昼間の光で草の模様がうっすらと浮かび上がり、道で綺麗な草花を発見した時のような喜びを感じました。こういう経験にはなかなか出会えない素晴らしさがあると思う。私はいつもそれが葛藤なんです。気配のような感覚と、見えているものでも、その華やかさや美しさを押し付けない形で、同じように気持ちが高揚するようなものはなんだろうかと考えるんです。
亮平:白磁にも絵がないわけではなくて、ちょっとした釉薬の流れた跡や指の跡とか、至るところに潜んでいる。本当に究極は、赤絵だけが見えて形が見えないのではなく、すべてが一体にある感じ。マメの服もそれを感じる。洋服の面白いところは素材や繊維がたくさんあるところ。それがピタッとはまってる感じはすごいよね。
黒河内:そうなれるといいな、と思いながら作っています。今、次の春夏コレクションの制作が佳境なのですが、それこそ、粘土で学んだことから作ってみようと思っているんです。いつも最終形を考えて色や素材などの形をビジュアルで描いてから物を作るので、それをやめてみようと。形だけでスタートして、その中がどういうもので構成されてるかを考えながらやるという逆算にしてみたんです。
ゆき:楽しみだね。
黒河内:ゆきさんの絵付けが、ここに生えていてほしい、ここにあってほしいと思って描く感覚と同じように物を考える。そうした美しさを自分のなかでより追求したいと感じますし、土という大地にあるものから、粘土になって、ろくろで形を成形していくという工程を追うことで、服の中に奥行きの面白さが生まれるのではないかと試行錯誤しています。
亮平:そうかもね。面白いもので、黒河内さんも新しいことをはじめて、うちも赤絵をはじめて。
黒河内:13年ブランドをやっていて、結局ずっと好きなものは変わらない。昔のコレクションをみて「すごく素敵だな」と忘れていたことを思い出す瞬間がある。それが何かを長く続ける素晴らしさだと思います。今までは古い生地や昔の資料などで心躍っていたのが、そういうものを経て、自分も少しずつ、まだ短いけど歴史みたいなものが出てきた時に、思い出せるものがあるというのは、とても良いことだと感じます。
亮平:うちは変わろうと思って変わっているというよりは、同じことを続けることに飽きてしまい、自然と移り変わっていく部分がある。以前、黒河内さんがトークショーで、美しいものに対する答えとして「移ろいゆくものに美しさを感じる」と言っていて、あの場ですぐにその答えが出るのか、と感心して聞いていました。作り方を変えてみたり、変化していくこと自体を美しいという、心に対して自然に構えている姿勢。結局その心のありようが、黒河内さんはいつまで経っても面白いな、と思わせてくれる。
黒河内:お二人にお会いした時に、恥じぬものづくりを続けなくてはと思います。同じ時代に生きている人でそういう風に思える方に出会えたのは、ものづくりをしている人間のひとりとして幸せなことだと思います。
亮平:こちらこそです。