THE STORY21 SPRING SUMMER
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7. 「On Window」堀江 敏幸氏との対談 後編 30.04.2021
<カーテンとひだ>
黒河内:今回コレクションでは、カーテンにインスピレーションを受けて、新しい、サラシのような真っ白な白から、日に焼けてちょっと黄ばんだエクリュのような白まで、白い色の色出しを繊細にやったんです。染色工場さんに何度もお願いして、職人さんに「いい加減にしてくれ!これ以上変わらないから!」と言われるくらいやったんですけど、どれだけ追い求めても記憶の白には辿り着けなくて。でもそれは、挫折したわけではなくて、それが見えたことが良かったと思うんです。今の自分が出したい白にならなくても、着る人が窓だとして、洋服がカーテンのような役割だったら、その人がまとっていく時間の中でこの洋服が定着して、その人の白になっていけばいいんだとハッとしたんですね。もうひとつ、自分が白に心を掴まれたのは、「包む」のコレクションの時に会社で蚕を育てた体験もありました。お蚕さまが1万倍の大きさに育ち、糸を吐く前に透明になり、徐々に糸を体の周りに八の字のように糸を吐き出しながら、自分の体を包んでいく様子はそれは神秘的で。常々、皮膚と洋服の間みたいなものを作りたいと考えているんですけど、その原始的なものを見ている感覚があったんですね。その経験も自分の中に残っていて、白のコレクション、白いレイヤーのコレクションを作りたかったのかもしれません。
堀江:蚕を飼っている部屋からは、カサカサと音がするんですよね。あと独特のにおいがする。蚕は農家の副収入になる重要なものだったわけですけど、敬意をもって、必ずさん付けで呼ぶんですよ。
黒河内:うちの祖母もそうでした。
堀江:ただの商売道具ではなく、家族の一員なんですね。蚕はけなげに、自分の色を全部糸に託して透明になる。繭のなかには、一晩二晩で変色するものもあります。時間が経つと、 ちょっと黄ばんだりもする。個体差によるものかもしれませんが、ベージュがかったものや汚れなんかも味わいがあって、綺麗だなと思いましたね。だからそのカーテンの白のグラデーションは、私の原体験にもあるような気がします。
黒河内:堀江さんの本で描かれていた暗闇が印象に残っているのですが、白と常に隣り合わせにある闇、黒にも惹かれています。作品の中に「窓の中の窓、外部、窓の順ではなく、窓、内部、窓、外部へと運ばれていく視線が心地よさと居心地の悪さの間で揺れる」という描写があって、室内の影とのコントラストに不安のようなものを感じるんですけど、それが共存することで見える美しさを感じたんですね。子供時代を田舎で過ごして良かったと思うのは、田舎には、夜になると何も見えない闇がやってきて、その中で目が慣れてきた時に、ボヤーっと障子の向こうに、月明かりを感じるようになる瞬間があって。そういうものは夜の怖さではあるんだけど、神秘的でもある。コレクションの中には黒もたくさんあるんですが、自分の中では大切な闇の部分でもあります。春夏はどちらかというと昼の窓を描きましたが、秋冬は夜の窓を描けたらいいな、と思っています。
堀江:白は、最初からあるものではなくて、染めるものなんですね。
黒河内:そうなんです。本当の白はもともとは生成りで、白という言葉は、漂白や潔白という意味で使われていたもので、色としての真っ白な白は人間が作り出したもののようです。
堀江:空白の白か、空虚に近いものは、色を抜いていかなければならないわけですね。逆に、本当に何にもない、電灯も何もない真っ暗な田舎の中の夜の闇は、黒としか言いようがないんですけど、例えば今、黒河内さんがお召しになっている黒も、求めているのはこの黒じゃない! と注文なさるわけでしょ?
黒河内:そうですね。で、黒も真っ黒に見えるには、染色の時に少し赤を入れると、視覚的に黒っぽく、深く見えるんですけど、それは繊維によって違うんです。青めに振った方が黒く見える繊維があったり、黒も染色が難しいですね。
堀江:単純に白黒と言いますが、白と黒の間にはものすごくたくさんの色が入っていて、たくさんの記憶が混じり合ってその色を作っていることがわかるような気がします。
黒河内:ところで堀江さん自身が居心地がいいと思う窓はどういうものなんですか?
堀江:その日によって違いますね。居心地のよさの基準が分からないです。統一感がないというか。窓全般が好きなので、あれば嬉しいんですが、窓のない空間の方が落ち着く日もあるんです。ホテルのように密閉度の高いところで、雨戸を閉め、アルミサッシの窓を閉めて、昼間から擬似的な闇をつくりたいときがありますし、外が見えなくても、わずかな光の筋と通りの気配だけ伝えてくれる窓でいいと思うこともある。建築家は、窓を作る時に、どういう景色が見えるか、どんな借景が望めるかを計算します。山や海のように変化しないものだったらいいんですけど、東京ではすぐ隣に、あるいは向かいに大きな建物が立ってしまうこともあるので、完全な計算はできません。ただ、建物の裏側、見えないところの窓は気になりますね。隣接する建物が取り壊され、更地が出現して、そのまた隣にあった家の側面や裏面が剥き出しになると、あ、手抜いてるな、とがっかりすることがある。見えないところにコストをかける必要はないから、これでいいんだ、と。薄い明かりが入ればいい、壁面のなかでの位置や配置のバランスは二の次みたいな家がないわけではない。居心地のよさはわからないけれど、悪さはわかる。
黒河内:住宅街の中を歩いていて出くわす窓のすりガラス越しに、日用品たちが透けて見えたりするのが私にとっては日本らしい風景です。
堀江:不思議にほっとする光景ですね。すりガラスの向こうに洗剤やお醤油のシルエットが見えると、匂いや音まで伝わってくるようです。どういう洗剤を使っているのか、むかしは容器や瓶の形で見当がつきました。すりガラスの窓は、幻燈のように暮らしの一部を外に行く人に見せてくれた。
黒河内:ある日、祖母の家に行った時に電子レンジの後ろにカーネーションの造花があることに気づいたんです。長い間気づかなかったんですけど、おそらくもう何年もずっとそこにあって。中で生活をしている時は全く見えない位置、自分たちの目線かあらは見えないところに、カーネーションの花を置く行為が愛おしくて。都会では、歩行者がいることで、窓に対してもてなしの気持ちで花を置くと思うんですけど、田舎は畑ばかりで、通るのは猫ぐらいなのに、そこに赤い造花を置く感覚がいいなと思った記憶があります。
堀江:なるほど。洋服を作られる時は、そんなふうに、向こう側にあるモノを意識していらっしゃるんですか? ふだん気づいていなかった大事なもの、肉体ではない何かがそこにあるという感覚も重要でしょうか?
黒河内:私の仕事は、洋服、量産品を多くの人に届けることですが、自分自身の作業としては、おぼろげなものを追っている感覚があって。それは何か記憶のもやのようなものでもありますし、確かな肉体ではないんですね。もちろん堀江さんの「戸惑う窓」と出会ってこのコレクションを作りましたが、それはこの本の中の一文一文から生地や服を作ることではなくて、この本や経験を通して、自分自身の戸惑う窓とは、どういうものなのだろうかを紐解くことなんです。なので最終的にはいつも自分自身のパーソナルな、私小説のような存在になるんですけど、何年か経って見ると、その時の自分の心情やどういう景色で作ったのかが、バーっと戻ってくる感覚があります。堀江さんはたくさんのストーリーを見て何か記録されたりしているのかな、と思っていたんですが、そうではなくて思い出しながら書かれていると読みました。新しい作品を作るときには、自分の頭の中を開けていくような作業の仕方になるんですか?
堀江:そうですね。引き出しがあるのかどうかも分かりませんが、決めて書くことができないんです。それから、記憶の細部には、往々にして誤りがあります。いまの時代は調べも楽ですから、本にする前に気づいて訂正することもありますが、思い違いもじつは大事な記憶なんです。映画や小説のなかで、たしかにあったと思い込んでいた場面が、指摘されてみると存在しなかったということが、けっこうあるんですよ。しかし、仮に後で調べて誤りだと分かったとしても、その誤った記憶を抱えて過ごしてきた時間があって今がある。そう考えると、全部きれいに修正してはいけない気がするんです。もちろん、誰かを傷つけたり、迷惑をかけたりしない前提ですけど。自分だけの誤りとして後で訂正できるのであれば、この誤りとともにどんなふうに生きてきたか、そちらの方に意味がある。だから書く時には、とにかく一応書いてみて、記憶がどこから出てきたのかを後で考える。先程の、皮膚と洋服の間のようなものという言葉で思い出したことがあるんです。プルーストの『失われた時を求めて』に出てくるデザイナー、フォルチュニの逸話ですが、あのプリーツ・ドレスは、もともとお手伝いさんが雑巾をギュッと絞って戻した時にできるひだがヒントになったそうなんですね。黒河内さんのデザインを見て、それを思い出したんです。レースで透かせるだけじゃなくて、絞って戻りきらない内側の何かが、独特の美しい光を発しています。文章を書くときも、そんなふうに1枚の紙を絞って広げたひだの、見えない部分をつかみ取れたらと思うんですが、実際には、絞って戻さないまま、バケツの縁で乾いてしまった雑巾みたいになる。それをもう一度水に溶こうとしても、鰹節を戻すみたいな感じで、うまくいくはずがない。
黒河内:ひだといえば、今回コレクションを作るときに、ちょうど家のカーテンをブラインドに変えたんです。それで、元々一度作ったカーテンたちを整理する際にカーテン着てみたんです。カーテンってただの四角だと思っていたけれど、体に当てた時にどこをどう当てても、体がそのひだに纏われる様子が綺麗だったし、包まれる感覚があった。そういえば、確かにこの生地たちが昼の風をはらんで膨らんだり、動くことで景色を産み出してた、ということに気づいて。カーテンを着た写真を元に、体に合わせてどこにタックを寄せようか、立体的に見せようか、こういうドレスにしよう!とスタッフと話しながら作ったんですけど、それは不思議で貴重な経験でした。堀江さんがおっしゃった雑巾のひだをギュッと絞って、そのひだの見えているところからの創作というのは自分にとってもすーっと入る強い言葉でした。
堀江:いくらフォルチュニから借りたとはいえ、雑巾じゃなくて、せめて布巾と言い換えておけばよかったですね(笑)。申し訳ありません。
黒河内:大丈夫です(笑)
堀江:黒河内さんが時間の水に浸して絞るのは、記憶の繭ですね。レースのカーテンを身にまとうと、それがひだのある衣装になる。ひだは、とても大切な要素ですね。
黒河内:そう思います。やはり人間の体は立体的で、どこにも直線はないですが、人の体に生地が沿った時に、とろけるような曲線であって欲しい。ちょっと冬になってきて太ってしまったなあというときに、手首や鎖骨のあたりなど変わらない場所に、生地がどういう風に沿えばその人が綺麗に見えるのかを思い描きながら作ったりしています。
完。
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6. 「On Window」堀江 敏幸さんとの対談 前編 23.04.2021
自宅に籠もりながら制作した2021年春夏コレクションの起点は、最後の旅の終わりに読んでいた堀江敏幸さんの「戸惑う窓」にあった。家にいながらにして、窓の向こうの人を想像しながら服をデザインするーーそうしてコレクションが完成したとき、堀江さんと黒河内真衣子の対談が実現した。
<戸惑う窓>
黒河内真衣子:あるとき、自分が移動の最中にたくさんの窓の写真を撮っていることに気がついて、それを朝吹真理子さんに話したら、誕生日に堀江さんの本「戸惑う窓」をくれたんです。コロナウィルスの感染がひどくなる直前、1ヶ月ほどヨーロッパに行き、旅の最後、ポルトからポルトガルに入って、堀江さんの本を読みながら、スペイン沿いのタビラ町まで下って行ったんです。この絵はどういう絵なんだろう、この写真はどういう写真なんだろうか、と想像しながら読み進める行為が、自分が窓を見ながら、あの人はどういう生活をしているのかな、この空き家には誰が住んでいたのか、と妄想を掻き立てられる感覚に似ていたんですね。日本では、外から自分の姿を隠すためにカーテンやブラインドを引くことで、生活と外の世界の境目を作りますが、人が家に引っ越したときに、1番最初に決めるのがカーテンなのに、引っ越した後に忘れられていくのもカーテンで。工場をまわっている時に地方で出くわすもの悲しげな窓や、そこに染み付いている記憶の色は織りや染めでは出せない独特の色をしていて。それに魅了されてコレクションを作りました。この本のおかげで、コロナ下で帰国して在宅の生活に入って過ごした時間がネガティブなものではなく、豊かな、ふくよかな想像をできる時間だったのですが、どういうきっかけで窓について書くことになったのか、あらためてお伺いしてもいいでしょうか?
堀江:時計の雑誌から「何か連載を」、と依頼されたんです。主題はなんでもいいと言われたんですけど、高級腕時計の専門知識もないし、文学寄りの本の話を書いても雑誌の枠から外れてしまう。どうしようかと色々考えているうちに、ふと、腕時計のカレンダー窓が目に入って、これを窓に見立てれば何か言えるんじゃないかな、と思ったんです。時計の文字盤はガラスで覆われていますし、一種の窓でもある。窓のなかのデイト表示は、もうひとつの窓になる。時間と窓にはずいぶん深い関係があるわけです。超精密な機構を組み入れた職人技の高級時計には、裏面がスケルトンになっているものもあります。時間の流れを可視化する部分と隠す部分が両方あって、はじめて時計になる。けれど、日付は時針とも分針とも秒針とも関係のない、表と裏のあいだにある時間の窓みたいなものなんですね。それが、過ぎて行く時間を前にしたのときの、不安というか、戸惑いというか、摑みにくい感情と合致した。それで、言葉遊びも入れて、タイトルにしたことを覚えています。
黒河内:なるほど。私は、幼少期、山がたくさんあって自然が豊かな長野で育ったので、四角く、規則正しい枠の窓に出会ったのは東京に来てからなんですね。田舎の一軒家にはすりガラスが多いんですが、星なのか、何かわからないような柄が入っていて、例えば子供の頃、昼寝から目を覚ました時に目の前のすりガラスの色やテクスチャーが薄暗く夜を知らせる様子とか、あやふやな、おぼろげな記憶が残っています。「戸惑う窓」という題名に、フワッとした独特な時間軸みたいなものを思い出したんですが、堀江さんは、どういう窓を見て育ったんですか?
堀江:昭和の時代に戻ってしまうんですが、岐阜県の小さな市の生まれで、コンクリートのビルは駅前にあるくらいの田舎町ですから、四角い画一的な窓もなかった。個々の家にあわせた窓枠を、大工さんや建具屋さんに頼んでいたんでしょう。実家の窓も、昔は真鍮の鍵をクリクリっと捻って締める木枠のものでしたし、灯り採りの窓は大きさも中途半端でした。近隣の家々も、窓の大きさにはけっこうばらつきがあった気がします。だから、サッシの窓が出てきてしばらくは、うまくなじめなかったですね。規格品をうまく使う建築家もいらっしゃるでしょうけれど、一般的な家にはそういう美しさもない。子どもの頃になじんでいた窓はすりガラスで、指を濡らすと文字が書けました。それがスーッと乾いていくのも楽しかった。ふつうのガラスでも、古くからあるものが好きでした。表面が歪んでいるんですよね。
黒河内:揺れてますよね。
堀江:少し厚めで、波打っていた。ひびが入ったり割れたりしても、すぐ取り替えずに、テープで補修してある窓がかなりあったんです。防犯上は好ましくないと思いますが、修復した窓ガラスも景色の一つになっていました。台風の前にやったのか、何重にもテープが貼られているガラス窓があった。そこに記憶が、時間が詰まっている。東京に出てきて高層ビルを見あげたとき、壁一面がガラスになっているのに驚きました。窓なのか壁なのかがわからない。自分にとって窓というのは、やっぱり壁をくり抜いたもの。真っ暗なところから、眠りの中から光が差してくるように開かれる、昔のカメラみたいなイメージです。
黒河内:この本の中にも、夏の日にうたたねをして起きたら、部屋の中にピンホールカメラのような像が浮かび上がったというお話がありましたが、四角いものから見る景色ではなく、隙間から入ってくる、暗闇から向こう側を覗く、邂逅具としての景色の描写でした。
堀江:古い家には、縁側の内側か外側かに雨戸を入れられる空間がありました。夜はカーテンを閉めるのではなくて、雨戸を閉めるんです。朝、目を覚ましたとき、雨戸の隙間から入る光が最初の光になる。部屋全体ではなく、その1点だけが明るい。雨戸は羽目板みたいになっていて、節穴があるんです。板の隙間や穴から、光が入ってくる。そうすると、埃で光の線が見えるんですね。
黒河内:はい!見えます。
堀江:綺麗な埃の筋ができていて、それが窓と結びついている。外を見るのではなくて、見ないために閉じる雨戸が、逆に外のことを想像させる。同じ世代で田舎育ちだと、どなたもそういう体験があるんじゃないかな。
黒河内:都市生活では「暗い」の概念を感じることがなかなかないんですけど、埃の塵が雪のように舞う様子は、暗い中でしか見えない光景で。もしかしたら昔の人の方が暗い時間と、窓を開けて明るい時のコントラストを感じていたのかな、と思いました。
堀江:そうかもしれませんね。
黒河内:昔の窓には、光を通すところがあって、またいろんなものから守ってくれる雨戸としての機能があったから、カーテンという概念がなかったと思うんですね。雨戸がなくなって、窓が1枚のガラスになったことで、カーテンが生まれたわけですが、人の家の窓を見ていると、不思議なものを感じるんです。たとえばレースのカーテンや遮光を引いているのに、ぬいぐるみがたくさん窓際に並べられていたり、お花が内側じゃなくて外側に向けて生けられていたり、窓の演出がされている。そこに、洋服を彷彿とさせるものを感じたんですね。思い起こしてみると、たくさんの時間を過ごした祖母の家からは、窓の向こうの盆地をぐるりと囲んだ山々に、霧やもやが漂う景色が見えるんです。そんな家にもレースのカーテンは付いていました。今回コレクションを作る時、在宅生活の最中、家で生けていた花とかをスケッチして、工場にレースのカーテンと同じ技法で作るようにお願いしてドレスを作ったんですけど、それを祖母と母に見せたら驚くほど盛り上がっていて。誰もが毎日見るもので、世代を超えてみんなが可愛いと思うカーテンという存在に嫉妬するくらい。これはどういうことなんだろう?と考えると、いろんなレイヤーの戸だけで暮らしてきた人が1枚のガラスに乗り換えて、選択肢が増えた時に、洋服を決めるように窓を装飾する考え方が登場したのかな、と。
堀江:ある時期から、レースが急に増えた印象がありますね。製造技術が上がって、大量生産で安くなったんでしょうか。子供の頃、友達の家に遊びに行くと、窓だけではなくて、小さなレースの敷物がいっぱいあった。
黒河内:ありました。
堀江:一箇所だけ使うということはないんです。かならず複数の場所にある。電話台に敷かれていたし、玄関の靴箱の上にも、家具調のテレビの上にもレースの敷物が載っていた。敷物とカーテンの趣味は、だいたい似ていましたね。つまり、レースのカーテンにもしっかり模様が入っていた。1980年代の終わりから90年代の頭にフランスに留学して、パリにいたんですが、レースのカーテンに模様がないことにびっくりしました。薄くて真っ白な、無地の蚊帳のようなレースで、全体に均一に光が灯るというか、光を均一に吸って散らす障子のような感じがする。レースをあちこちで見かけた時期、カーテンも二重が流行って、外側の遮光カーテンと内側のレースの組み合わせが多かった。そして、レースにはたいてい柄が、模様が入っていた。まっさらなモノはほとんどなかったんですよ。どういう経緯でカーテンにレース模様が入るようになったのか、そこが不思議で。
黒河内:海外を歩いていると、窓にカーテンを吊っていなくて、家の中が全部見えて、自分自身がちょっと寂しいなと思う気持ちの向こう側に火が灯り、人が食卓を囲んでいるのがオープンに見える光景が印象的ですよね。確かにカーテンは、日本が障子とか日常にあったものから離れる中で、西洋への憧れが過剰に表現されたものの一つだったのかもしれません。
堀江:黒河内さんがカーテンをモチーフに制作されたレース模様からは、全体に風を孕んだ感じ、細身の体に空気が入る感じが伝わってきます。よく見ると素敵な模様が浮かび上がるんですが、パッと外から見たときの印象は無地で、そこに記憶の日焼けみたいなものがブレンドされている。
黒河内:私自身も幼少期の思い出で蚊帳の中で寝た夏の日とか、障子の向こうから光が差す感じとか、その時何をしていたかは思い出せなくても、光景は自分の中に蘇ってくる感覚があって。自分自身もコレクションを10年作ってきて「つつまれる」ことを考えたから、その後、新しい扉を開けたい、窓を開けたい気持ちが生まれたと思うんですよ。でも、いざそこを自分なりに模索していくと、窓を開けるのではなくて、自分の内側にある中身の窓を開けていく感覚があったんです。新しいことを探すよりも、いろんな景色を思い出すとか、そういう感覚が強かったですね。
堀江:内側にあるものは記憶なのか、思い出と言っていいのか分からないですけど、今回の春夏のコレクションを見せていただくと、まだ包まれているような感じを受けるんですよ。完全解放ではなくて、「包まれている状態」が守られたまま、何か違うところを開けようとしている。包まれていても、これまでの何かを守るという保守的なことでもなくて、内と外を強くするために崩したくない、そういう意味での「包む」というか。まだ見えていないかもしれませんけど、ひと繋がりのテーマだな、と。包まれることから、包むことに移らなければ、窓というテーマに向かわれなかったのではないか、と思ったんです。
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5. Texture 16.04.2021
「この部屋にはレースを」「この窓にはチューリップを」と、自分の空想上の新居のカーテンを決めるように、生地をデザインすることで、やアイテムを構成した今季のコレクション。レースやシアーな素材が多く並ぶ中で、黒河内自身が愛着を込めて「遮光カーテン」と呼ぶ生地がある。ストライプを織りで表現したこの生地の表面には、特徴的な粒状の小さなかたまりが。これらは黒河内が好むシルク素材の中でも「ノイル」と呼ばれるザラザラとした質感のシルク生地をイメージしたもの。米袋などに使われるシルクノイルは、蚕が吐きだす糸に宿るムラから生まれるもので、独特な手仕事感があって好きな糸。けれど、本当のシルクノイルはケアの難しさから、日常的に着る夏服にするのが難しい。豊かな質感のシルクノイルのようなテキスチャーと光沢を持ちながら、軽さのある素材を開発することに決めた。
シルエットのインスピレーションになったのは、日中、端に寄せられギュッと結ばれる遮光カーテンの佇まい。立体感のあるカーテンのあの佇まいを表現するために、タックとギャザーがふんだんに使われた。シルクを想いデザインした新たな生地は、日常に新しくて豊かな質感をもたらせてくれる。
“A lace curtain for this room, for this room a tulip pattern”, Maiko Kurogouchi dove into her imagination for fabric design or items for this collection, as if she was moving into a new house. As many garments include lace or sheer materials, there is one fabric in particular Kurogouchi shows affection towards, the ’Blackout Curtain.’ Stripes were expressed by weaving, and on the surface are small granular features. This fabric was created from the image of silk noil which has a rough texture, a type of silk Kurogouchi favours. Silk noil usually used for rice bags, are produced from the unevenness in the silk produced from silkworm, giving a handcraft feel. However, silk noil’s difficulty to care, is difficult to use for garments worn in the summer. With all in mind, Kurogouchi decided to create light fabric, rich in texture and lust similar to silk noil.
The silhouette inspiration came from the tied blackout curtains at the side. The curtain giving off a stereoscopic feel, was expressed using tacking and gathering. The fabric designed while thinking of silk provides a rich texture to the daily life.
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4. Curtain calls 09.04.2021
旅をすることができなくなって、急速に小さくなった世界にも、様々な窓があることを発見した。自宅の近くには、時間が止まったような佇まいの、人影のない自動車整備工場があって、そこに唯一残されていた、カーテンのチューリップ柄に目を奪われた。カーテンはとても面白い、そう黒河内は言う。おばあちゃんも、この自動車工場の人も、私も、時代を超えても惹かれるものが一緒なのだから。
ノスタルジーを感じるチューリップの柄からインスピレーションを受け、柄を描き生地のモチーフにすることに決めた。ジャガード織機でしか織ることのできない細かなメッシュに、強度の違う経糸と緯糸を撚り合わせることで、縮率の違いを利用したチューリップの膨れ柄をあしらった。イメージしたのはどこか懐かしいカーテンだった。
シルエットのヒントをくれたのもカーテンだった。会社でのフィッティングもできない中、自宅でカーテンを体にまとったり、腰にあてたりしているうちに、偶発的にできたタックやドレープ感が美しかった。それらを写真におさめ、スケッチした。体にまとわりつくカーテンのランダムな曲線をあえて不揃いな幅のプリーツで表現し、風をはらんだときのボリューム感を表現した。こうして生まれた生地は、真夏の暑い日、シワにならず、高い速乾性と通気性を持つ、涼やかに着られる洋服たちへと姿を変えた。
Limited to travelling, the world seemed smaller, but at times like this one finds beauty in its surroundings. Maiko Kurogouchi discovered that there were various windows, with different appearances. Near the house, remained an empty car mechanic factory, as if time had stopped. The one thing that remained was a tulip patterned curtain, catching Kurogouchi’s eye. She says curtains are interesting. Even with time, for Kurogouchi, her grandmother, and people in the car mechanic factory, what one finds attractive are the same.
Gaining inspiration from the nostalgic tulip pattern, Kurogouchi decided it as the motif of the fabric and drew the pattern. Using jacquard loom to weave fine mesh, twisting warp and weft of different strength, the shrinkage created a bulging tulip pattern. What she imagined was a somewhat nostalgic curtain.
The curtain also provided a hint for the silhouette. The office close, fitting not possible, Kurogouchi wore the curtain around herself, on her hip, and by coincidence found beauty in the tack or drape created. She made sure to keep snaps, and sketched out the design. The random lines created by the curtain wrapped around the body were expressed by uneven width pleats, also adding volume when the wind swifts by. The fabric created, safe from wrinkles with quick drying and breathability, changed itself into garments that could we worn even on hot summer days.
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3. Between the worlds 26.03.2021
黒河内にとって、窓のおもしろさは、カーテンに仕切られて見えない、その向こう側に存在する世界や空間、人々の暮らしの気配を感じさせるところにある。その先に、どんな人が住んでいるのか、どんな生活を営んでいるのか、想像するのが好きなのだ。家から出ない生活の中で、これまで行っていたような服作りができない中、想像上の窓に生地を当て、作りたい生地を想像するなかで、奥にいる人の気配を感じさせるカーテンのような服をデザインしたいと考えた。
春を迎え、部屋には日本の年中行事に合わせて和花を活けていた。百合、菖蒲といった花々が共存する日本の庭園を思わせる風景を揺れるカーテンの中に見た時それらを様々な刺繍で表現しようと考えた。福井、群馬と、様々な場所で刺繍してもらい、一着の洋服に景観を合体させた。これまで繰り返し使ってきた、生地の上に刺繍を重ねる手法だけではなく、生地に穴を開けて透けさせるタイプの刺繍を採用したのは、刺繍という窓の向こうに息づく人の体温を感じさせたかったから。着る人という窓を飾り続け、いつの時代も変わらない美しさを湛えるカーテンのような生地が生まれた。
Curtains intrigued Maiko Kurogouchi, as it conveyed another world or space on the other side of the curtain, the sense of people living. What Kurogouchi enjoyed, was imagining what was beyond the curtain. Who was living on the other side, what kind of life they spent. Due to limitations on travelling, unable to apply the usual process in designing, she matched fabric to imaginary windows or thought of fabrics to create, hoping to design garments that would bring the same mysterious sense of the curtains.
Spring awakening, Kurogouchi arranged flowers in her room using Lily and Iris, celebrating the seasons Japan has to offer. Seeing the flowers with the swaying curtain, it reminded her of the scenery in a Japanese garden with lilies and iris coexisting, deciding to express this with numerous embroideries. Embroideries were made in different locations all around Japan, such as Fukui prefecture and Gunma prefecture, fusing the different sceneries the embroideries created into one garment. Unlike past collections where embroideries were layered on the fabric, holes were made on the fabric to create the transparency to convey the warmth of the person across the other side of the curtain. The creation of a curtain timeless to the wearer, beautifully dresses the wearer as the window was.
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2. Colour of memory 26.03.2021
窓に寄り添って、長い時間そこに存在し、太陽の光をふんだんに吸収して、黄色みを帯びるカーテンの記憶。そこにある時間の経過への慕情をもとに織ったのがシルク・ナイロン・ジャカードだ。
緯糸には、最細手のシルクを二重に打つことで薄いけれど膨らみのあるテクスチャーを、経糸には<スパークナイロン>と呼ばれる、糸口に断面をつけた内面が三角の繊維を織り込むことで、一見、無地にも見えるけれど、光があたると断面が反射して水面のようにキラキラと光る。
黒河内真衣子が在宅生活の中、家で活けた小さな花たちをそのままノートに押し花にし、柄をおこしてこの生地に織り込んだ。光を受けたとき、風で揺れたときに、小さな花たちが浮かび上がるように。
自分の記憶にあった黄ばんだカーテンの色を追い求め、何度も、工場とやりとりをし、染め直しに挑戦した。けれど、途中で、理想の色が実現しなくても良いのだ、ということに気がついたという黒河内。できた服もまた、誰かとともに時間を過ごすことで、記憶を吸収しながら、少しずつそれぞれの色を纏っていくのだから。
The memory of the curtain, laying against the window, for an extended amount of time, soaking up the sunlight, tinged with yellow. The silk-nylon jacquard is woven with the longing for the passing of time.
Applied to the weft are the finest silk, double layered to create a thin but a swelled texture. The warp uses thread called Sparkling Nylon, where a triangular fiber is woven into the thread. The fabric at first, may look plain, but once light shines the fabric it reflects and glistens like the surface on the water.
While Maiko Kurogouchi stayed indoors, she pressed the flowers she had arranged into her notebook, weaving the pattern into the fabric. As the light shines, and the wind blows, the flower designs appear to dance.
In search of the tinged yellow curtain in ones own memory, Kurogouchi discussed countlessly with the factory, dying the fabric over and over. But as through the challenge, Kurogouchi realised that it didn’t have to replicate the ideal colour she was chasing after. As the clothes will spend time with the person, it will absorb the memories together, slowly but surely wearing its own colour of time.
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1. Introduction – The window and the curtain 19.03.2021
「包む」をコンセプトに、蚕の”しろちゃん”の繭に包まれるような感覚を追体験した2シーズンを経て、今シーズンのテーマに「窓」を選んだ黒河内真⾐⼦。
きっかけは「窓」について考えていた2020年初頭、友⼈がプレゼントしてくれた本「戸惑う窓」(堀江敏幸著 中央公論社)。コロナウィルスがやってきて、これまで続けてきた旅をおやすみすることになったとき、⼿元に溜まっていた旅先のスナップ写真を振り返ると、窓の写真が多いことにも気がついた。⾃分はなぜ窓の写真を撮っているのだろう?
考えてみると、窓に惹かれるのは、カーテンの姿から、その後ろに暮らす、またはかつて暮らしていた⼈物の姿を彷彿とさせるからだ。⼈は、新居に引っ越したとき、最初にカーテンをつける。そして、家主がその場を去るとき、カーテンは⼤抵の場合、忘れられていく。⼈々の記憶を吸収したカーテンの⽩には、様々なグラデーションがある。それを、どう織りや染⾊で表現するのか。
旅をすることができなくなって、ほとんどの時間を⾃宅で過ごすことになったとき、窓の内側から外の世界を眺めた黒河内が思い出したのは、⾃分が⾒てきた窓たちの姿だった。そして、幼い頃、おばあちゃんの家で過ごした時間を思い出した。窓にかかっていたレースのカーテンが、西⽇を受けて作り出す影が好きだった。
ノスタルジーと向き合いながら、黒河内がイメージしたのは、着る⼈という「窓」を装うカーテンのような、そよいでくる⾵をはらんでひるがえるそれを、⼀枚⼀枚丁寧にめくりながら新しい扉を開けていけるようなコレクションだった。
そんなコレクションの象徴になったのが、群⾺県桐⽣のカーテン⼯場に依頼して作ったオリジナルのレースを主役にしたガウンとドレスだ。国内でも数が少ない希少な編み機を使い、在宅⽣活に活けた花を、⼤判でレースに織り込んでもらった。⼤きな柄を途切れず織ることができる織機を⽣かし、洋服の形にデータ化することで織り上げた柄は、⼀枚⼀枚、職⼈の⼿でヒートカットされてゆく。こうして⽣まれた襟元の繊細なカットや裾のスカラ・カットが、かつての記憶と黒河内の今を⼀着の洋服の上に繫ぎ⽌める。
The past 2 collections were based on the concept of ‘Embrace’, a sensation Maiko Kurogouchi herself experienced of being embraced in a basket, from raising the silkworm ‘Shiro-chan’.This time, the designer chose ‘windows’ as the next theme.
It started when Maiko was thinking about windows at the start of 2020, when a friend gifted a book, ‘The Confused Window (Tomadou Mado)’ by Toshiyuki Horie.’ COVID-19 had spread and all travels were at a halt, unable to continue her journey, Maiko Kurogouchi looked back at snaps from her travels and realized a lot featured windows. She wondered and thought to herself, why she took snaps of windows. What drew her was the story of the person living behind the curtain, or reminiscing the curtain left behind and its old resident.
Curtains are one of the first items ready when one moves into a new house. And when the resident leaves, most of the time, they are forgotten. The curtains in white that have spent time with the resident, absorb the memory which created unique gradations to each. The question was how to express this by weaving and dying techniques.
Unable to travel, Maiko Kurogouchi spent a lot more time at home. Gazing at the world outside from the window within, she remembered that these were the windows she had been seeing. And she was reminded of her days she spent as a child at her grandmother’s, where she enjoyed the lace curtains on the window exposed to the westering sun creating shadows.
For this collection, facing a hint of nostalgia, Maiko Kurogouchi imagined a ‘window’ person being dressed in curtains, where one could flutter in the wind and with each flip/turn the wearer able to open a new door.
Items that became the symbol of this collection were the gown and dress, made out of original laces ordered from a curtain factory in Kiryu, Gunma prefecture. The flowers arranged while staying at home were woven into the lace, using a domestically rare sewing machine. The machine being able to weave large patterns without distortion were shaped into the garment itself, where each piece was then heat cut by the artisan's hand. With this, the delicate cut around the collar or scallop cut sleaves were created, which connect the memories and Maiko Kurogouchi into one piece.